cuncunの中国写真日記 【最初】 【戻る】

□1992年   ■1993年   □1994年
1993/12/31 23:58:58
中国へ出張し私の設計したソフトの紹介です。

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cuncun-2021/06/03 15:22:08
初めての海外出張が中国だった。正直あまり乗り気ではなかった。 ただ、自分で開発したソフトが中国で通用するのか見てみたい、 という気持ちはありました。 中国ビジネス、動き始めてしまえば熱心な仲間に囲まれてどんどんハマっていきました。

1993年12月

1993/12/31
12月17日(金)
長虹からソフトウエア動作確認OKの連絡を受けMASK作成を開始した。 ES、CS、MPとマイコンを準備する為にソフトウエアのMASKが必要です。 上海事務所経由で長虹の発注書を入手し処理開始。 長虹向けPAL-TV用マイコンのMASK番号はLC864012L-5522。 併せて中国初汎用MASKマイコンLC864012L-5211も作成を開始しました。
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cuncun-2021/05/26 11:12:08
これ以降下記のアイディアを出し思考錯誤が始まりました。
①信号処理チップの課題をソフトウエアで解決。
②三洋赤外リモコン含む標準TKSの確立。
③顧客に密着して要望を聞きソフト作成。
④アイコン風なグラフィックメニューの提案。
⑤TVのOSDを利用したゲーム機能の提案。
⑥ソースコード公開による開発キャパの拡大提案。

1993年11月

1993/11/30
11月19日(金)
香港から成田へフライト。 香港啓徳空港で滑走路の先の海に浮かぶ垂直尾翼の無いジャンボ機が見えた。
11月18日(木)
SZ4003成都14:15-16:30で香港へフライト。 到着後SSHK本社にて打合せです。 今後の中国向けシャーシの開発計画、 営業の拡販計画について議論しました。 夜は中華料理で宴会です。 香港泊。

11月17日(水)
綿陽から成都へチャーターしたバスで移動です。 成都錦江飯店。


11月16日(火)
前回送付したOTPの動作確認結果とソフトの再修正について、 長虹の開発部で技術打合せを実施。 修正版のOTPを提供しました。 お客様の要望をその場でソフト修正する三洋のスタイルは、 とても好感をもって受け入れてもらえました。 綿陽臨園賓館泊。

11月15日(月)
成都から綿陽へバスで移動です。 綿陽臨園賓館泊。 ここは長虹の敷地の近くです。 もともとは迎賓館として作られた施設とのことです。 広い庭園の中に低層階の建物が散在しています。

11月14日(日)
KA383で香港から成都へフライトです。 成都錦江飯店に宿泊です。 朝起きて散歩すると大きな川が有ったのを思い出します。 【資料写真】


11月13日(土)
成田から香港へフライトです。 今日は香港泊です。

11月5日(金)
前回、長虹で打合せを行った仕様変更に対応したソフト修正を実施。 OTPを作成し上海事務所経由で長虹へ送付した。 長虹で動作確認を開始してもらう。

11月4日(木)
ニュースで見ました。 中華航空605便(B747-409)が香港啓徳空港で着陸に失敗。 当日香港は台風23号が接近していて時折強風だったようです。 605便は滑走路内には接地したが、 その後滑走路をオーバーランし滑走路沖の浅瀬で停止した。 死者が出なかったのが不幸中の幸いだった。

1993年10月

1993/10/31
10月11日(月)
香港から成田へフライトです。
10月10日(日)
Kowloonホテル泊。
10月9日(土)
厦門から香港へフライトです。 Kowloonホテル泊。

10月8日(金)
成都から厦門へフライトです。 厦門華僑電子を訪問し商談を実施。 厦門Holiday-inn伯。

10月7日(木)
早朝に綿陽を出発し成都に移動。 写真は綿陽市郊外の道路脇のレストラン。お客さんはいなかった。 車をチャーターし峠を越えて移動した。片道4時間。 成都錦江飯店泊。


10月6日(水)
成都から綿陽へチャーターしたマイクロバスで移動。 つづら折の峠道を超えて行きました。 デモソフトウエアの仕様をもとに長虹仕様の打合せ。施正平さん。 写真は綿陽市内のレストランの入り口です。綿陽臨園賓館泊。


10月5日(火)
午後は北京から成都へフライトです。 もともとは成都岷山飯店に宿泊との連絡がありましたが、 実際には成都錦江飯店に宿泊です。
午前中の空き時間で万里の長城に連れて行ってもらいました。


10月4日(月)
香港から北京(泊)へフライトです。 到着後にテレビメーカーである、北京牡丹を訪問しセットの紹介を行いました。 夜は会食です。

10月3日(日)
成田から香港(泊)へフライト。 Kowloonホテル泊。

1993年9月

1993/9/30
EASTKITが設計したPCBが完成し日本で動作確認を実施。 長虹向けに簡体字対応メニューなどデモソフトの準備。 これらを長虹へもち込んでデモを計画し調整を始めた。
中国簡体字のOSD表示を検討した。 北米アルファベット対応のOSDは横幅が7dotしかない。 7dot毎に1dotの空白が自動的に付加されてしまう。 これでは横幅の広い漢字は表示できない。 そこでヘンとツクリに分かれている漢字は2キャラクターで 一つの漢字を表示する方法を考えた。 思考錯誤の末、何とか中国語版メニューを完成させた。

1993年8月

1993/8/31
8月15日(日)
香港から成田へフライトです。

8月14日(土)
SSHKの幹部と今後の中国拡販について打合せ。 Kowloonホテル泊。

8月13日(金)
朝ホテルをチェックアウトし上海虹橋から香港へフライトです。 到着後はKowloonホテル泊。

8月12日(木)
西安から上海へフライトです。 到着後Eastkit訪問。ソフトの打合せを行った同僚と合流です。 夜は皆さん集まって上海料理で宴会となりました。


8月11日(水)
フライトの都合で西安にもう一泊です。 空いた時間で兵馬俑博物館、華清池など西安の市内観光に連れて行ってもらいました。 SSHKの方さんが案内してくれました。TK田さんも同行です。 外国人の入場料が倍高いので中国人用のチケットを買ったので、 日本語をしゃべらないでと言われました(笑)。
写真は搭乗券の裏側の広告です。

8月10日(火)
黄河電視を訪問しデモを実施しました。 写真は今回、上海と西安を往復した飛行機の搭乗券です。


8月9日(月)
JL791で成田から上海虹橋空港へフライトです。 共同開発の技術打合せの為、日本の同僚も同行してもらいまいた。
そして、私たちのメンバーは虹橋から西安へフライトです。 西安建国飯店泊。 ホテルチェックインの際に貰いました。

8月2日(月)
南京熊猫電子集団の幹部一行が群馬の開発部を訪問された。 当方が今年に二回、南京を訪問したので返礼の訪問です。 ICデザインセンターの入り口にパンダのOSDを組み込んだテレビを用意し歓迎しました。 そして熊猫電子の幹部にテレビ半導体の開発現場の紹介し、 今後のテレビの共同開発について協議を行いました。 夜は歓迎パーティでした。

1993年7月

1993/7/31
7月9日(金) 大阪TV(事)USA向ソフト
7月2日(金) M86KMバグ対応

上海EastKITからOSDの文字の画面ノイズ指摘された。 テレビが弱い信号を受信した際に、OSDの文字がゴーストとなって二重に表示されている。 日本の開発部で再現できた。 マイコンのハードメンバーMッ谷さんと一緒に原因を解析した。 OSD信号が強すぎて、Tunerに干渉しているようだ。 OSD出力Driverの修正版LC864012Lの開発を開始した。

1993年6月

1993/6/30
6月25日(金)
群馬で韓国金星社向けのキャプションソフト対応。

6月17日(木)
JL792で上海虹橋から成田へフライトです。
6月16日(水)
EastKit社を訪問し打合せ。 写真はホテルから撮影した市内の景色です。


6月15日(火)
午後から電車で上海へ移動しました。上海国際貴都大飯店泊。


6月14日(月)
南京熊猫電子集団を訪問。 LA7680シャーシの共同開発の為の技術の紹介をしました。 また今後のビジネスについて話し合いです。 南京金陵ホテル泊。
6月13日(日)
上海から電車で南京へ移動です。 南京金陵ホテル泊。
6月12日(土)
上海市内の観光に行きました。
6月11日(金)
EastKit社を訪問しビジネスの打合せです。 A3改造ボードの共同開発についてです。 この交渉に合意し、EK向けのSSHK独自シャーシの開発を開始しました。
6月10日(木)
EastKit社を訪問し新マイコンの技術打合せです。 性能測定結果と対策方法について協議しました。 写真は宿泊したポートマンホテルの名刺です。


6月9日(水)
JL791で成田から上海へフライト。 今回は上海ポートマンホテル泊です。 夜は上海事務所のHR林さん、TK永さんと一緒です。 上海花園ホテルで鉄板焼をご馳走になりました。



6月4日(金)
“すいとり君”の追加オーダー有り。部品とソフトを提供する。

1993年5月

1993/5/31
5月14日(金)大阪TV(事)キャプションサポート

今月は前回の顧客訪問デモ時の要望事項を受けてハード・ソフトの修正を実施。 また、顧客へ提供するデモTVを追加で作成する。 ソフト付加機能として中国向け簡体字対応OSDメニューの追加を検討。

1993年4月

1993/4/30
中国テレビ戦略をHR林さんTK田さんと一緒に策定した。

1)中国の大手メーカーに採用される事が目標。 これにより他メーカーは追従して採用される。

2)大手に採用される為にはベースとなるTVシャーシと専用ソフトが必須になる。 シャーシ開発には設計会社と共同開発が必須と考えた。

3)当時の設計会社は開発したシャーシを中国のTVメーカーへ販売するビジネスモデルを実施し、 彼らは共通シャーシを中小TVメーカーに販売する。 一方、大手TVマーカーは差別化の為のカスタマイズの根強い要望がある。 その為、我々の目指す大手と設計会社のターゲットの棲み分けが出来そうと考えた。

4)上海にあるEASTKIT社とのシャーシの共同開発案を考えた。 三洋マイコンをソフトウエアも含めてEASTKIT社に提供をする。 交換条件として、EASTKIT設計のシャーシを借りて三洋独自ソフトの開発・拡販を認めてもらう。

上記に基づいて開発、営業ともに準備を開始した。

1993年3月

1993/3/31
3月21日(日)
上海虹橋から成田へフライトです。 成田空港で預け荷物を受け取り、 中に手荷物を入れようとしたらSK本さんに、 まず入国カウンターへ急ぐのが鉄則と言われた。 確かに行列に並んでからでも出来ることは後で良いですね。

3月20日(土)
午前中に南京市内の中山陵を観光しました。 午後は南京から上海へ列車で移動です。上海泊。
下記写真は参考です。


3月19日(金)
熊猫電子集団を訪問しテレビセットのデモを実施しました。 夜はお客様と会食です。南京金陵ホテル泊。

3月18日(木)
SK本部長を含む出張メンバーと南京へ列車で移動しました。 南京市内にある金陵ホテル宿泊。



3月17日(水)
上海電子一廠、EeasKitを訪問しデモ実施。 上海で有名な由緒ある上海花園ホテルに宿泊。

3月16日(火)
厦門空港の上海行きのフライトが大幅に遅れた。 そのとき出された無料のお弁当を食べておなかを壊した。 空港から上海のホテルへの移動中もずっと気持悪かった。 上海ガーデンホテル泊。


3月15日(月)
厦門の大手TVメーカーを訪問しセットのデモと紹介です。厦門のホテル泊。

3月14日(日)
香港から厦門へフライト。SSHKメンバーと同行です。厦門のホテル泊。

3月13日(土)
成田から香港へフライトです。大澤さんとTV2台をハンドキャリーして出張。香港(泊)。

AB部長から中国出張頼むと言われた。 SK本(事)から冗談まじりに 「じゃ一人で頑張って!」と言われた。  結局は初の出張なのでアテンドしてもらいました。(笑)

1993年2月

1993/2/28
三洋半導体の信号処理Chipを搭載して中国で販売されている テレビを中国で購入し日本に送付してもらった。 このセットには他社製のマイコンが採用されている。 このマイコンを取り外し変換基板を作成して三洋半導体の LC864012に置換えた。 これと同様なサンプルTVを2台作成した。 これを利用して中国市場へ拡販するチームを結成した。 また、翌月の中国出張日程の調整を始めた。
写真はテレビ改造のイメージです。

1993年1月

1993/1/31
中国のTVに参入したいとの幹部の意向。しかし大きな課題があった。 我々にはPAL-TVで必須なVoltage-synthesizerのマイコンが無いのである。 NTSC専用のLC864012を使用して実現の可否を検討する事になった。
ハードが無いものをソフトで実現するには処理の高速化が重要となる。 既存7bit-PWMを利用して14Bit-PWMをソフトウエアで実現できるか? 高速化の為、思考錯誤しながら下記の構想による新ソフトを開発した。
1)PWMのパターン合成

2)割込みの高速化

3)割込みの多重化

実験を繰返して、このソフトウエアPWMで放送が受信できる事が確認できた。